演技

ねぇ 小さいとき待ちきれない授業なかった?

私は他の子と違って月曜日が好きな変な子供だった。図工の授業があったから。

お父さんのにおいがした皮肉っぽくて変わった先生も、この「好き」の一部に含まれていたと思う。

そのあと図工が美術に変わっても私はいつも何かを作ったり、表現したりすることに惹かれていた。

それは今でも変わっていない。

どうしてこんなに影響されるのか自分でも分からないけど、私の感性は「溺れる」に近い。

揺さぶられて、興奮して、ただただ溺れていく。そうやって溺れているときに目が覚める。

「なんで」って。
なんで全部あるのだろう。

なんのために望んで、なんのために愛して、なんのために生きて、なんのための世界なのだろうって。

なんのための仕事? 何のためのお金? なんのための物? 何のための人間で、なんのためにメイクなんかするのか。

なんのため? 全部なんのため

言ってほしい誰かに。全部なんのためでもないって。

人はあまり元から存在するものを疑問に思わない。でももしかしたら、子供たちが疑問に思うことを疑問に思った方がいい時もあるかもしれない。

普通の大学に通っているからかもしれないけれど、私の周りに「芸術」っていう感じの人はあまりいない。

けどね。

みんな演じているの。自分じゃない誰かを。
それっていいことだと思う。だって店員が急に泣き出したら嫌でしょ?

私たちはお互いに有益な交渉を成立させるために日々演技をしている。

恋人が欲しいから相手をその気にさせようとするし、仕事が欲しいから上司に媚を売る。成績のためにも先生と仲良くしておいた方がいいことも分かっているし、何かあったときに利用できるように連絡先を交換する建前上の友達もつくる。

こんなに極端じゃなくても、揉め事が起きないように私たちは日々努力して好い人を演じている。たくさんの人の目が怖くて、いい子でいたいから。だってそれの方が楽だもん。みんな平和に暮らしたいじゃん。

でもそうやって自分が分からなくなっていくのだと思う。

演じていない時間が短かすぎて。

自分の夢も人が見て美しいものにしたがる。美しい学歴を望みたがる。でもそれで1人になったときに訳が分からなくなるの。本当の自分ってなんだろうって。

そんな時は子供の頃の自分を思い出してみる。

子供の頃は本当に強気で出しゃばりだったし、人の目なんて怖くなかった。素直に好きなものは好きだったし、嫌いなものは嫌いだった。ロシアの牛乳とかクセが強くて瓶ごと投げ捨てた記憶があるくらいだから 笑

私が考えるのは本当に小さいときの自分って今の自分のルーツだっていうこと。どこか芯の部分で生き続けている。

あなたはどんな子供だった?

Sofa

Advertisements

Leave Your Thoughts!

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.