【Thirsty】愛について Pt.1【Thursday】

この度のThirsty Thursdayのコラムは愛についてつらつら書きたいと思います。定義は人それぞれ違いますが、色々な形があるというところから始めたいと思います。

愛には、明らかな恋愛以外だと「自己愛」、「家族愛」、「隣人愛」、「友愛」、「物/ペット/趣味/仕事等への愛」そして「歪んだ愛」もあります。

自己愛:自己への愛情。自分を大切にすること・自分の価値を知ること。疲れたら自分に休む時間を与えること。自分の短所と長所を知ること。自分を追い込まないこと・危険な状況に自身を投げ出さないこと。限界を知ることなどです。甘やかしていい状況では、自分を甘やかし、厳しくしなくてはいけない時には意思を強く持つこと。自分を傷つけないこと、文字通りでも、比喩的にでも。

家族愛:両親への愛情をもつこと。なぜなら相手は無条件にあなたのことを愛しているからです。(異論は認めます。いろんな家族がいるので) ただ、もし普通の家庭に生まれて、普通に育ててもらったなら、ただでさえうるさくて、言うことも聞かなくて、お金しかかからない上
最後は勝手に巣立ったあなたをここまで支えてくれた両親・親戚・親権者・保護者等には愛情を持って接しましょう。相手も親である前に、1人の人間でもあります。あなたに構うのが面倒な時もあったかと思います。自分の予定を優先したいのに、自分のためにお金を使いたいのに、全部あなたに注いでくれました。だから愛には愛で返しましょう。いろんな家族の形がありますから、里親かもしれないし、親権者かもしれないし、片親かもしれないし、祖父母や他の親戚かもしれないし、性別が一緒の両親かもしれないし、歳の差があるかもしれないし、血の繋がりがないかもしれないし。でも育ててくれた人には愛をもちましょう。

隣人愛:今の時代、他人を気にかけるのはトラブルを避けるためにも、あまりやりたがる人がいません。特に日本は、みんな周りに興味がないので、地下鉄できょとんとした顔で立ってても、誰も”Where do you wanna go?” とか “Where are you tryin to get to?” とか “You need help?” とかいちいち聞きません。 私も人を助ける時は、「自分に時間の余裕があって、間違っていることを正したくて、逆の立場だったら自分も助けてほしい」と思った時だけです。純粋に人類が好きで、ボランティア精神溢れる人間だから他の人を助ける訳ではないです。有名な 善いサマリア人のたとえ、というものがあります。この話のモラルは、助けること、ではなく「差別なく、万人を」助けること、にあると思います。(解釈の話はまた別の機会に)

友愛:ここでは、友人への愛情としてこの言葉を使おうと思います。筆者は特に、人生でたくさんの友人に助けられてきました。それは精神的に辛かった時の支えでもあるし、お金がなかった時の支えでもありました。 (ご飯に連れて行ってくれたりとか、仕事を紹介してくれたりとか) 人生色々ありますから、筆者が住む東京にはもう住んでいない友人もいます。
友愛は今ある友人を大切にする心でもありますが、一緒にいて共通点のない友人を手放す愛でもあります。手放すことができない人が昨今とても多いと思いますね。

物/ペット/趣味の愛:物は大切に。そして「安物買いの銭失い」の言葉通り、長く使うものに関しては品質が良いものを買いましょう。ポイ捨てはしない、いらないものは寄付に回す等様々なことができます。服/靴/本/DVD/髪の毛/ゲーム/ブランド物/献血等、調べればたくさん寄付先は出て来ます。そしてそれを癖にしましょう。物を手放せる人になりましょう。物が多いことは決して幸せをもたらしません。大金持ちで、全世界に流通しているものを買える財力があっても、多分その内飽きるだけです。満足はしないのです。
ペットへの愛は、飼っている人なら分かりますね。家族の一員であり、自分の癒しであり、掛け替えのない存在です。
趣味への愛も、とことん追求するタイプの人ならのめり込んでそのまま現実世界を忘れてしまったり…。それも立派な愛だと思います。筆者は、1つに集中できない人なので、とことん1つのことにハマる人が羨ましいです。
仕事への愛も、自分の好きな事をやってお金を稼いでいる人なら共感できると思います。実際、本当に好きな事なら時間を気にせずいつでも、いつまででもやり続けられるんですよね。やりたくない仕事だから、有給とか、時間とかを気にするのかなと思う時もあります。自分の好きな事を仕事に出来ている人は、それに対してきっと愛があるはず。

歪んだ愛:歪んだ愛を「愛」とカテゴライズするかは、イマイチ微妙ですが、「歪んだ愛」というフレーズを社会は作り出しました。「愛好」と「愛」は何が違いますかね。死体愛好家は、死体が好きです。小児性愛者は、小さい子が好きです。それは愛ですか?性癖ですか?病気ですか?性癖を愛と呼べますか?これに関しては、倫理観と、行為が犯罪になるかの問題です。でも例えば、ラブドールを本物の人だと思い込んで愛して一緒に生活している人。車と性交渉をする人。エッフェル塔やベルリンの壁と結婚してしまった人。彼らは、社会に迷惑をかけず、自分の世界の中で生きています。彼らの愛は、一般人から見たら理解するのが難しいかもしれませんが、本人は幸せです。さぁ、これを「愛」と呼びますか?それとも性的倒錯と呼びますか?


愛の種類は他にもあると思いますが、思いついた限りはこんなものでしょうか。次回は国別に見た愛情の形について考えてみようと思います。


Love and be loved, Millennials

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